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『戸隠流の特徴とは敵にあっても先に攻撃しないで相手の戦闘力をうばう戦法をとり、
身を守り家族を守り、主君を守るという守備の武術であるということです。
独自の工夫された武器はたくさんありますが、
武器をもたずして敵を倒すことが戸隠流の極意でもあります』(現地パンフレット)
『養和元年(1181)平家妥当の兵を興した信濃源氏木曽義仲を平定するため、
越後守城太郎資長の率いる平家軍は数万と言われる兵力を以て、信濃に向い打って出た。
これを迎撃せんとする木曽勢も直ちに依田城を後に北信濃裾花川添いに布陣したが、その際、
義仲は戸隠山中を源流とするこの川の上流の岩窟に陣取って全軍の指揮をとったと言われている、
後生この岩窟は木曽殿アブキと呼ばれるようになった。
義仲の家臣としてこの戦列に加わった仁科大助は古くからこの地に在って荒行の末、飛鳥術、
銛磐投術等信濃忍法とも言うべき戸隠修験道、飯綱修験道、独特の技を身につけたと言われる。
寿永三年(1184)宇治粟津の戦いで義仲闘死の後、大助は伊賀に逃れ、
戸隠で修行した技に伊賀流忍術をとり入れ、ここに戸隠流忍術を完成した。』
(忍法資料館内説明書きより) なお、忍法資料館内には、
上記創始者から、34代800年に渡る継承者の系図も掲げられています。
現在の第34代宗家は、千葉県野田市在住の初見良昭(白竜)師、とありました。 |